(韓国 ハンギョレ紙 社説 2007・11・01)
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/247321.html
キム・デジュン(金大中)拉致事件と日本の責任
(朴軍事政権と結託した日本政府の責任が減るわけでもない)
キム・デジュン拉致事件と関連した日本政府の態度は、適切ではない。町村信孝官房長官は、一昨日記者会見で、日本政府の真相究明の義務などを強調した、キム・デジュン元大統領の前日の発言を巡って、“(キム・デジュン元大統領が)その後、大統領になったとき日本政府に(どうして)その様に言わなかったのか異常だ”といった。 かれは先週、国情院・過去史委が、この事件の調査報告書を発表した時も、“この時期に、34年前の事件を発表する意図が何なのか、分からない”と言った。日本政府は、この事件の発生と以後処理の過程にどうあっても責任が無い、と言うような有様だ。
日本政府は数日前、ユ・ミョンフアン(柳明桓)駐日韓国大使がこの事件と関連して、遺憾を表明するとすぐ、“謝罪としてうけいれる”のであり“日本の主権が侵害された国際法上の問題は、処理された”と言う態度を見せた。そうであれば、日本政府は、今自身がすべきこと、即ち真相究明に積極的に出るのが、当たり前だ。この事件を繰り広げた主体は、韓国中央情報部(朴軍事政権時代の)であるが発生場所は日本だ。おまけに、二つの政府の公権力の介入が確認されなかった、と言う点を前提として、真相究明の努力を放棄したまま政治的に事件を決着させた。いま、韓国側の努力に歩調を合わせて、日本も行動に出るのが順理(当たり前の道理)だ。
無論、真相究明の一次的責務は、韓国政府にある。 「過去史委」の活動も不十分だった。捜査権がない半官半民の機構である上に、政府機関が満足に協力しなかった為だ。イ・フラク(李厚洛)元中央情報部長とキム・ジョンピル(金鐘泌)元国務総理などが、事件の実行、また、事後処理と関連された核心の関係者の調査も成し遂げることは出来なかった。そんな中でも“パク・チョンヒ(朴正熙)元大統領が少なくとも、黙認的に承認した事に見える中央情報部の犯罪行為”だと、念を押したのは、過去史委の活動の成果だ。完全な真相を明らかにしようとすれば、今でも、政府(ノ・ムヒョン政府-訳注)が本格的に調査する方法だけしかない。日本の主権を侵害した事に対しても、曖昧な遺憾表明ではなく、はっきりとした謝罪をすることが正しい態度だ。
そうだと言って、日本政府の責任が減るわけでもない。日本政府が韓国の独裁政権(朴正熙軍事独裁政権)と結託した事は、日本としても暗い過去だ。日本の当時の行動は、1967年、東ベルリン事件(訳注・1)の時、中央情報部(KCIA)がヨーロッパで拉致して来た韓国人達が、フランス・西ドイツ政府の抗議で帰ったことと、対比された。今が、即ちキム・デジュン(金大中)拉致事件と関連して、すっかり真実を明らかにするチャンスだ。これは、一つ次元の高い、韓―日関係を作るのに、元肥(元となる肥料、基礎-訳注)となるものだ。
(訳 柴野貞夫)
(訳注・1) 1967年朴軍事政権時代、西ドイツ、フランスを初めとするヨーロッパに留学していた韓国の学生や、大学教授・音楽家など194名が、自国の軍事政権の転覆を狙った北朝鮮のスパイとして、本国に次々とKCIAによって拉致され、投獄のうえ、死刑判決を受けた者もいた。西ドイツとフランス政府は、主権侵害として韓国政府に抗議し、現状復帰させた事件を指す。
解説
朴軍事政権と結託して主権侵害を容認した日本政府
1973年日本において、韓国のKCIAが白昼公然と、キム・デジュン(金大中)を拉致殺害しようとした「金大中事件」は、ようやく34年ぶりに、ほぼその全容が04年11月に国情院のなかに設置された官民共同の調査委員会(過去事件真実究明を通じた発展委員会)によって明らかにされた。しかし、当時「韓国の公権力の介入の証拠は無い」として、〈政治決着〉を図り、自国に対する「主権侵害を容認」し、朴軍事独裁政権と結託して韓国の民主化運動とその人士の弾圧に手を貸してきたのは、現自民党政権に引き継がれてきた、当時の自民党政権が行った行為に他ならない。
真相究明を拒否する福田政権
ハンギョレ社説が指摘するように、11月2日、キム・デジュンが京都での記者会見において、「韓国にのみ謝罪を求め、真相の究明を無視する日本政府の責任」を糾弾したことに対する、町村官房長官の「今さら34年前の、決着済み問題を持ち出して迷惑だ」式の、真相究明を放棄する卑劣な態度は、許されるものではない。キムデジュン拉致事件を政治決着で幕引きし、田中から福田へと歴代自民党政権によって支えられた、朴軍事独裁政権の暴圧と戦ってきた韓国6月抗争世代によって、その中枢を占めているのが他でもなく現ノ・ムヒョン政権である。その韓国政府が、当時の軍事政権が、日本に対して行った「主権侵害」が明らかになった時点で、外交的慣例として「謝罪」行うのは致し方ないとしても、同様に、現日本政府もまた、当時の日本政府が行ったこの事件に対する、あらゆる事実関係を証明する為の調査を行う義務から逃れることは出来ないはずである。
父親の約束を反故にしようとする卑劣な息子
韓国 過去史委は、2万㌻にのぼる政府保管資料、関連証言者18名による調査をおこなったが、ハンギョレは、それでもまだ不十分であると指摘し、キム・デジュンは、この調査が、首謀者が朴大統領であることを曖昧にし、拉致の目的が自身の殺人にあったことを明確にしていないと批判している。しかし、日本政府に至っては、いまだ当時の外交文書を明らかにすることも、真相究明に取り掛かることも表明せず、1977年12月6日、参議院での、「キム・デジュン(金大中)事件の政治決着に関する質問に対する答弁書」のなかで、福田首相が“将来、韓国側の日本国内における公権力の行使を明白に裏付ける重大な証拠が新たに出た場合には、外交的決着を見直すこともあり得ること”と明確に文書で答弁を行いながら、現福田政権は、完全な無視を決め込んでいる。
戦後もなお、朝鮮民族を抑圧してきた日本
そればかりか、韓国・過去史委のアン・ビョンウク(安炳旭)委員長は10月25日の韓国KBS放送や、その後の記者会見でも、同委員会の調査書発表に関して「日本政府の間接的な外交的圧力があった」と明らかにし、「日本政府が謝罪を求めることは、問題を捻じ曲げる外交攻勢であり日本が自ら調査することがある」といっている。同時に韓国政府の、日本からの謝罪要求を心配する立場から、公表の時期や内容で軋轢があったことをあかした。
日本政府は、この問題に限らず、戦後の、特に朝鮮戦争以降の韓国軍事政権とのかかわり、なによりも1965年の日韓条約に見られる、朝鮮半島の戦後処理における、35年間の植民地支配の歴史を顧みない、半島の一部に過ぎない韓国軍事独裁政権との長年に亘る癒着と不透明な関係を通して、半島の分裂固定化に犯罪的役割を果たして来た事が、あきらかになりつつある。韓国は、すでに「日韓条約」に関連するあらゆる外交文書を公表しているが、日本政府は一切明らかにしていない。金大中事件の究明は、戦後日本帝国主義のアメリカ帝国主義に連れ添った、朝鮮民族と日本の民衆に対する残酷な支配の歴史を、明らかにするものであるが故に、その真相の究明を拒否しているのである。
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